【2025最新】露木茂の現在の画像は?息子と妻や自宅・軽部真一との関係も!

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元・フジテレビアナウンサーだった露木茂さん、最近全くメディアに出ていない気がします。

現在はどのようにしているのか気になりますよね。

そこで今回は、

1・露木茂の現在の画像は?
2・露木茂の妻と息子や自宅
3・露木茂と軽部真一との関係

について調べてみたいと思います。

露木茂の現在の画像は?

露木茂の現在の画像はこちら

こちらの写真は2024年に元・フジテレビアナウンサーの長野智子さんがパーソナリティを務めるラジオ番組に出演した時のものです。
こちらが一番現在に近い写真と思われます。

昔と変わらないお元気そうな姿ですね。

現在は何をしている?

露木茂さん(1940年生まれ、84歳・2025年現在)は、現在も精力的に活動しているようです。

主な活動は以下の通りです。

東京国際大学特命教授・客員教授を務めており、大学での講義や特別授業を行っているようです。

日本記者クラブの企画委員として、同クラブ主催の討論会の司会なども担当しています。

◎レギュラー番組への出演は減っていますが、出張授業や講演ボランティアの司会など、言葉を使った活動で若い世代に経験や知識を伝えています。

執筆活動も続けており、著書を通じてメディアや社会についての洞察を発信しています。

◎最近でもラジオ番組や特別番組のゲストとして出演されることがあるようです。

SHIROTAN
SHIROTAN

アナウンサー時代の経験を生かした仕事をしているんだね

若い頃の活躍

露木茂さんは1963年にフジテレビにアナウンサーとして入社し、以降38年間にわたり報道番組、音楽番組、バラエティー番組など幅広い分野で活躍してきました。

報道番組では「ニュースレポート」「スーパータイム」「報道2001」などの主要キャスターを歴任し、社会的事件や災害の現場からも中継を行いました。

バラエティ分野でも1978年から18年間「FNS歌謡祭」の総合司会を担当し、幅広いジャンルで親しまれました。

露木茂の妻と息子や自宅

露木茂さんの妻は軽部和子さんです。息子は2人いて一般人です。

妻の軽部和子はアナウンサー?年齢は?

露木茂さんの妻は、軽部和子(かるべ かずこ)さんです。

露木茂さんと同い年のようなので、年齢は84歳と思われます。

露木茂夫妻が徹子の部屋に出演した時の写真はこちら

お二人は早稲田大学の放送研究会で出会った同級生だったそう。大学卒業後に和子さんはNETテレビ(現・テレビ朝日)でアナウンサーとして働いていました。

1964年、露木茂さんがフジテレビに入社して間もなく結婚しています。

和子さんは元々は政治部記者を目指していましたが、家庭を優先するためにその夢を一旦諦め、家庭と子育てを優先し、専業主婦として家庭を支え続けました。

息子について

露木茂さんには息子さんが2人います。

2人とも早稲田大学を卒業しており、学業面でも優秀だったという情報があります。

しかし息子さんたちは一般人であり、名前や顔写真、職業などの詳細な個人情報は公表されていません。

息子さんたちはアナウンサーなどメディア関係の仕事には就いていないようですね。

SHIROTAN
SHIROTAN

家族全員早稲田大学出身なんだね

露木茂の自宅は?

露木茂さんの自宅は、新婚当初は妻の実家の庭にプレハブ住まいをしていたというエピソードもありますが、現在は東京都世田谷区の高級住宅街にある戸建て住宅だそうです。

以前、日本ツーバイフォー建築協会本部ホームページに露木茂さんのインタビューが掲載されたことがあるようで、5LDKの広々とした木造建築で、木の温もりを重視した設計になっているんだとか。

ツーバイフォー住宅は、耐震性・耐火性・断熱性・気密性・遮音性など、住宅の基本性能が非常に高いのが特徴です。

SHIROTAN
SHIROTAN

素敵な家にお住まいなんだろうな

露木茂と軽部真一の関係は?

フジテレビアナウンサー時代の上司と部下という関係です。

露木茂さんを検索すると軽部真一さんの名前が表示されるので、どんな関係があるのか気になりましたが、妻の軽部和子さんと苗字が一緒なので、何か関係があるかと憶測されたようです。

しかし、調べてみたところ親族関係などもなく、たまたま同じ苗字だったというだけのようです。

珍しい苗字なので、親戚だと思われたのかもしれませんね。

ここからは、露木茂さんのアナウンサー時代のエピソードをまとめてみました。

部下への気配りとサポート

露木茂さんは、部下の様子をよく観察し、元気がない時や悩みを抱えていそうな時には自ら食事に誘い、励ましたりガス抜きをさせていたというエピソードがあります。

こうした上司と部下の絆は、かつての職場文化の良い例として語られています。

今では気軽に部下を誘ったりすることはなかなか難しいですよね。

日航機123便墜落事故の報道

1985年の日航機123便墜落事故では、放送直前に生存者発見の速報が入りました。

そこで露木茂さんは用意していた「全員死亡」という原稿を捨て、アドリブで10時間以上の生放送を乗り切りました。

自分の言葉で伝えたいという想いが強かったのでしょう。

この報道を認められ、日本新聞協会賞を受賞することに。

SHIROTAN
SHIROTAN

アドリブで生放送を乗り切るってすごいことだよね

生放送中のハプニング

1986年、有楽町で3億円強奪事件が発生した際、報道センターから速報を伝える直前、スタッフと談笑し大爆笑中の映像が誤って放送されてしまいました。

直後に真面目な顔でニュースを伝える姿が話題となりました。

生放送ならではのハプニングですよね。

まとめ

最近あまりテレビで見かけなくなった露木茂さんですが、アナウンサー時代の実力を生かした様々な仕事を続けているようですね。

これからの活躍も楽しみです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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