中西学の引退理由3選!現在はガソリンスタンド?伝説の引退試合も!

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“野人”として知られたプロレス界の名物レスラー、中西学さんが、2020年2月22日に後楽園ホールのリングで惜しまれつつ引退しました。

その引退理由には、ただのケガ以上に深い想いと葛藤がありました。

そこで今回は

1・中西学の引退理由3選!
2・中西学の現在はガソリンスタンド?嫁は誰?
3・中西学の伝説の引退試合や若い頃

について調査してみたいと思います。

中西学の引退理由3選!

ここからは、中西学さんの引退理由について3つ探ってみたいと思います。

理由1・首の大怪我(頚椎損傷)

2011年の試合中にジャンピング・ニーを受けて頭から落下し、「中心性脊髄損傷」という非常に重い首の大怪我を負いました。そして長期入院・リハビリ生活を余儀なくされました。

この怪我により、復帰後もかつての動きができなくなり、動きのキレが失われたことが引退理由の大きな一因です。

理由2・怪我以前の動きができないことへの歯がゆさ

2011年の大怪我(脊髄損傷)から復帰した後も、以前のような身体能力や動きのキレを完全に取り戻すことは困難だったそうです。

また、怪我やリハビリによる肉体的・精神的なダメージも少なくなかったとされており、復帰後のトレーニングでも思うように身体が動かせなかった悔しさが本人の口から語られています。

 会見に出席した中西は引退の理由を「首のケガが原因で思うような戦い方ができなくて、ズルズルこの状態で続けるよりも、しっかりケジメをつけて、いつまでも昔はあんなことができたと言うよりも、今自分に残されている熱いものを、2月22日までに使い切って、レスラー人生を全うしたいと思いました」と、目を赤くしながら説明。

引用:デイリー

首の怪我回復が完全に至らず、かつてのパフォーマンスを取り戻せないことに対する悔しさや葛藤があり、引退を決意したようです。

理由3・家業の茶栽培の援助や将来の生活を考えたこと

中西学さんの実家は京都府宇治市の老舗茶農家であり、父や兄が家業を守ってきました。

子供のころから家業の手伝いをしていましたが、アマチュアレスリングやプロレスの道に進んだことで長らく茶栽培には関わっていませんでした。

プロレス引退を決める過程で、体力や健康面への不安、そして長く続けられる安定した生活の必要性から「家業のお茶を、ゆくゆくは兄と一緒に継いでいきたい」という思いを持つようになりました。

プロレスの元王者がリングを降り、地元の京都府宇治市で茶農家として新たな闘いを始めた。茶葉の栽培ではまだ駆け出しだが、元レスラーならではの体力を生かし、炎天下の茶畑で草抜きなどの作業を黙々と続ける。

引用:毎日新聞

中西学の現在はガソリンスタンド?嫁は誰?

ここからは、中西学さんがガソリンスタンドで働いているという噂や、嫁について探ってみたいと思います。

なぜガソリンスタンド勤務?どこにあるの?

引退時は実家の茶農家を引き継ぐ気持ちでいた中西学さん。

しかし、父親は兄に継がせると決めていたそうです。

ところが兄も体力的に運営していくのが厳しくなり、父親も体調を崩してしまい茶農家を廃業

元プロレスラーとして”トレーナー職”も考えたそうですが、ちょうど2020年のコロナ禍だったこともあり対面指導も難しく不器用でリモートにも対応できなかったとのこと。

昔から付き合いのあった社長さんが経営する愛知県のガソリンスタンドで働くことになったそうです。

54歳で初めての一般職に就きましたが、持ち味の野性味は社会では不器用さとなり、毎日謝る日々が続いているといいます。

――高校時代からレスリングに打ち込み、そのまま54歳までその道一筋でしたが、一般職をやってみた感想は?

中西:……はっきり言って、迷惑かけっぱなしです。最初のころなんかはお客様の車をこすってしまったり、今でもミスをしては方々に頭を下げて回る日々。そうやって謝って回っているうちに一生が終わってしまいそうやなと(苦笑)。こんなに自分は何もできへんのか、と身に染みています。

引用:日刊SPA

リングの上とはまた違った闘いが待っていたようです。

高校生でも受かるような危険物取扱者の試験を受けたんですけど、10回以上連続で不合格。試験は終わった人から帰るんですが、いつも最後に残るのは自分だけ。

試験官にも顔を覚えられてしまいました。こんなおっさんが一人残っていて、ほんまにかっこ悪いし悔しかったですね。でもそんなことも言っていられないですから。

引用:日刊SPA

どんなに悔しくて恥ずかしい思いをしても諦めない不屈の精神は、プロレスラー時代に培われたものかもしれません。

現在は痩せた?

2025年現在58歳になった中西学さんが、プロレスラーの永田裕志さんのYouTubeに出演し、現役時代から45kgも痩せたと話題になっています。

ただし、この減量は深刻な病気による“やつれ”ではなく、生活習慣や食事、運動スタイルの変化によるものと考えられています。

本人は「健康診断も問題なく、体が軽くなった」と語っており、ジョギングなど適度な運動も続けているとされています。

現在は前歯がない?

永田裕志さんのYouTubeに近影を見せてくれた中西学さんですが、動画を確認すると前歯がないことがわかり、話題になっています。

中西学さんて現役の時からもう歯がありませんでしたか? 現役の時は入れ歯してたのでしょうか? 久しぶりに現在の姿見てびっくりしました。 病気ではないみたいで良かったのですが。

引用:yahoo!知恵袋

これはショック。中西学58歳なのに歯も無いし呂律も回ってなくて70過ぎのお爺ちゃんみたい 病気かなあ?

引用:X

口元でだいぶ印象が変わったように見えますが、病気ではないようです。

中西学の嫁は誰?

中西学さんの元妻は女優の近藤典子さんですが、現在は離婚しています。

中西学さんの元妻は、同い年の女優・近藤典子さんで、プロ野球監督で横浜ベイスターズ(現DeNAベイスターズ)初代監督や千葉ロッテマリーンズ監督を歴任した近藤昭仁さんと女優の北沢典子さんの次女です。

ドラマ「踊る大捜査線SP」や「不機嫌な果実」、CMでは日本生命「日生 レディともこさんシリーズ」、花王「ルアージュ レイヤーススタイリング 」等で活躍した女優さんです。

出会いのきっかけは、近藤典子さんのお兄さんの紹介だったそうです。

お互い第一印象で惹かれたそうです。

お互いの第一印象については「気の強そうなストレートな子だと思った。僕は性格的にまわりくどいので、その部分にひかれた」(中西)

「私はプロレスをよく見ていたので“わー、本物 の中西選手だ。大きいなぁ”と思った」(典子)と説明。

引用:闘魂NEWS

2000年11月に婚約記者会見を行い、翌2021年の1月に東京プリンスホテルで結婚式を挙げました。

しかし、2005年に離婚したと伝えられています。公式発表などはなく、理由も明かされていません。

中西学の伝説の引退試合や若い頃

ここからは、2020年に後楽園ホールで行われた伝説の引退試合や若い頃の活躍について調べてみました。

伝説の引退試合

中西学さんの伝説の引退試合は、2020年2月22日に新日本プロレス「中西学引退記念大会」として東京・後楽園ホールで開催されました。

観衆は満員札止めとなり、会場は引退を惜しむファンで埋め尽くされました。

メインイベントとして行われた引退試合は、60分1本勝負の8人タッグマッチ。中西学さんは長年の盟友である天山広吉さん、小島聡さん、永田裕志さんと組み、

・飯伏幸太
・棚橋弘至
・後藤洋央紀
・オカダ・カズチカ

という新日本プロレスを代表する精鋭と対戦しました。

中西学さんは必殺技のアルゼンチンバックブリーカーなどを繰り出し全力で戦いましたが、最後は相手チーム4人それぞれのフィニッシュホールド(後藤のGTR、飯伏のカミゴェ、オカダのレインメーカー、そして棚橋のハイフライフロー)を立て続けに受けて壮絶に敗北。

この一連の大技を全身で受け止める姿こそが、中西学らしい伝説的な幕引きと評されています。

試合直後、会場は大きな拍手と涙で包まれました。中西学さんは「死ぬまでプロレスラーです」と名言を残し、仲間やファンへの感謝とともに27年のプロレス人生に終止符を打ちました。

コロナ禍直前の時期にも関わらず会場は満員で、第三世代の絆や新旧トップレスラーたちによる豪華な顔ぶれ、その全員が中西学さんに敬意を表して全力でぶつかるという、プロレス史に残る名試合とされていることが伝説と言われる所以でしょう。

若い頃の活躍

中西学さんは宇治高、専修大学とアマレスで活躍し、1989年から全日本レスリング選手権4連覇、1992年バルセロナ五輪日本代表という輝かしい実績を引っ提げてプロレス入りしました。

プロレス団体・新日本プロレスに入団すると、わずか2カ月後の10月には藤波辰爾さんとのタッグで「スーパーグレード・タッグリーグ2」の公式戦でデビューを飾りました。

このデビュー戦では、元々のアマチュアレスリングスタイルを活かした動きで、160kgを超えるスコット・ノートンを水車落としで投げ切るなど、怪力を見せつけ大きなインパクトを残しました。

ヘッドギアとアマレスのタイツ姿という異色のスタイルも注目を浴びました。

得意技は「アルゼンチンバックブリーカー」

中西学さんの代名詞である「アルゼンチンバックブリーカー」はこの頃から得意技として使われ、多くのファンを魅了しました。

この技は相手を自らの両肩上に担ぎ、背骨を反り上げてダメージを与える古典的なストレッチ技で、数々の大柄選手も持ち上げた怪力ぶりで知られています。

150kgを超える選手さえも軽々と担ぎ上げ、試合のフィニッシュや魅せ場で使いインパクトを残しました。

中西学さんは若手時代から圧倒的な怪力でプロレスシーンを沸かせ、アルゼンチンバックブリーカーを武器に伝説的な活躍を残しました。

まとめ

頸椎損傷という大きな怪我でプロレスを引退した中西学さん。

今はリングの上ではないものの、その“プロレス魂”は日々の接客や丁寧な仕事の中に息づいています。

もし機会があれば、再びマットに立つ姿を見られるかもしれない──そんな希望を持って「ガソリンスタンド勤務」という第二のリングで、今日も誇りを胸にチャレンジを続けています。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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