1970~80年代にかけて歌手として活躍していた倉田まり子さん。
レコード大賞新人賞など、数々の賞も受賞してきましたが、1985年に芸能界を引退してしまいました。
どのような理由で引退してしまったのでしょうか?
そこで今回は
1・倉田まり子の引退理由3選!
2・倉田まり子の娘は?
3・倉田まり子の学歴は?
について調べてみたいと思います。
倉田まり子の引退理由3選!
倉田まり子さんが芸能界を引退した理由について3つ調べてみました。
理由1・投資ジャーナル事件の巻き込まれ
1985年に発覚した「投資ジャーナル事件」に関与したとマスコミで報道され、事件に巻き込まれたことが引退の大きなきっかけとなりました。
投資ジャーナル事件というのは、1980年代に起きた大規模な投資詐欺事件です。
証券関連雑誌「投資ジャーナル」を発行していた中江滋樹氏が、「絶対に儲かる」と宣伝して多くの人から預かり金を集め、株式の売買を約束しましたが、実際には株式の引き渡しを行わず、預かり証だけを発行して現金を詐取しました。
最終的に約7,684人から約580億円を集めたものの、多くは返済されませんでした。
倉田まり子さんは「中江の愛人で7000万円の家をもらった」などという雑誌記事が発端となり、この事件に巻き込まれてしまいました。
事件の中で取り沙汰されたのが、中江と倉田さんの関係だった。写真週刊誌『FRIDAY』が、中江に肩を抱かれている倉田さんとのツーショット写真を掲載したのである。
「タイミング悪く、この時期に倉田さんが目黒区に7000万円ともいわれる3階建ての豪邸を建築していたんです。このことが判明すると、マスコミは倉田さんが中江の愛人で、詐取された金がこの豪邸に流れているのではないかと追及し始めた」
引用:週刊実話WEB
倉田まり子さんは記者会見を開き、身の潔白を主張しましたが、世間から厳しい目が向けられることになり、引退したと考えられます。
理由2・仕事の激減と芸能界の居場所喪失
一般的に芸能人がスキャンダルに巻き込まれると、テレビ番組やCM、ドラマなどの出演オファーが急激に減少し、今まであった契約も打ち切られることが多いですよね。
そしてイメージが重要な芸能界では、一度ネガティブな印象が定着すると、スポンサーや制作側が起用を敬遠するため、復帰や再起がとても難しくなります。
倉田まり子さんの場合も、「投資ジャーナル事件」によるイメージダウンが原因で、出演予定だった番組や仕事がキャンセルされたり、新たな仕事の依頼が途絶えたと考えられます。
その結果、芸能界での仕事を失い「居場所がなくなった」という状況に追い込まれてしまったと考えられます。
理由3・精神的なダメージと失意
記者会見で自身の潔白を主張し、最終的に税務署の調査で無実が明らかになったにもかかわらず、一度ついてしまったネガティブなイメージはなかなか消すことができなかったようです。
「最終的には、税務署の調査によって、倉田さんが豪邸の資金を借金で賄ったことを証明する借用書が見つかり、この愛人疑惑は解消されましたが、時すでに遅し。一度ついた悪いイメージを回復することはできず、豪邸も税務署の差し押さえで失うはめになった」
引用:週刊実話WEB
実際には中江滋樹氏と男女関係はなく、自宅を建築した資金も正規の借用であったにもかかわらず、「愛人」や「不正な金銭授受」といった根拠のない噂を流され、プライバシーや名誉が傷つけられたことも、精神的な負担となったでしょう。

根も葉もない噂を流されるなんて許せないよね!
最終的に自分から芸能界引退の決断をするに至ったのには、かなりの精神的なダメージを負っていたと考えられます。
倉田まり子の娘は?
1997年生まれの娘が1人います。
1996年に結婚
倉田まり子さんは1996年、36歳の時に1歳年上の医療機器メーカー勤務の一般男性と結婚しました。
そして翌年、娘を出産しています。しかし一般人なので、名前や職業など詳しい情報は公開されていません。
倉田まり子さんはその後夫と離婚し、現在は独身のようです。
倉田まり子の若い頃
1974年、高校1年生のときに家族でTBS『家族そろって歌合戦』に出場しました。
当時から抜群のかわいらしさだったのでしょう。
その番組に来ていたスカウトマンに見初められ、上京しました。
1978年からNHK『レッツゴーヤング』のサンデーズの一員としてレギュラー出演。
本名は「坪田真理子」ですが、芸名「倉田」は師匠・都倉俊一さんから一字もらったものです。
当時、歌手の石川ひとみさんに似ていることでも話題になりました。
2人の比較画像はこちら。(左が石川ひとみさん、右が倉田まり子さん)

そっくりで姉妹みたいだね
1979年、「グラジュエイション」で歌手デビュー。同年「HOW! ワンダフル」が江崎グリコ「ポッキー」CMソングに起用されヒットし、各種新人賞を受賞しました。
倉田まり子の学歴は?
倉田まり子さんの学歴は日出女子学園高等学校卒業です。
引退後は法律事務所の秘書などを経て起業
現在64歳になった倉田まり子さんは引退後、本名の坪田真理子さんとして活動し、まずは国際法律事務所の秘書を務め、その後、資格試験予備校LECの執行役員や講師を経験しました。
2003年に独立起業し、有限会社コーディアルを設立。
キャリア・カウンセラーとして、大学生の就職指導や企業・自治体向けのプレゼンテーション能力向上や営業力強化などの研修ビジネスを展開し、受講生のモチベーションを高める講師として定評があります。
大学教員として教育分野でも活動
2008年からは国立大学法人東京学芸大学の特命准教授に就任し、2015年4月からは特命教授(キャリア支援担当教授)を務めています。
亜細亜大学や立正大学などでも非常勤講師としてビジネスマナーやキャリア関連の授業を担当しています。
自身は高卒ではありますが、その後努力を重ねてキャリアを積み、今では大学教員として活躍されているんですね。
まとめ
芸能界で活動していた頃は、根も葉もない噂を流されて理不尽な思いもした倉田まり子さん。
現在は自身の努力と実績を重ね、キャリアカウンセラーとして現在の地位を築き上げたようです。
これからの活躍も期待したいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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